私の一年は元日朝5時の初詣で明けます。
歴史的にも超有名な神社の本堂の扉が一年で一度、
元日の夜明けに開き、奉納の舞で祈願される。
ピンと張りつめた透き通った闇に松明の明かりだけで見る
荘厳な世界が好きで毎年通っている。
でも年々早朝の参拝客が少なくなっている。が,その分冷やかし客がいなくて、
その光景を見守る人々の眼差しや息遣いが重くて凛としている。
お堂の真上に北斗七星も見える。たまらん。構図が良い。
そのあと淡い碧の中に現れる初日の出を拝んで帰宅する。
皆さま
明けましておめでとうございます!
2020年もベリーメリーミュージックスクールを
どうぞよろしくお願いいたします。
みなさまにとって最高の2020になりますように!
ベリメリ京都チーフの吉田です。
正月三が日の京都はとんでもない人出での大渋滞でした。
渋滞中は暇なのでいろんなことを考えます。
『京都東インターから平安神宮に向かう最短距離の三条通りは
鬼のように混んでいるのに、一本南の五条通りは仏のように空いている。』
なぜだ?
他府県からの車のナビに、一様に最短距離のルートが表示されているからか?
で、正月の京都といえば、まず平安神宮や八坂神社なので、その最短ルートが鬼渋滞なのであろう。
少し回り道すれば、結構空いていて、その鬼ルートの半分以下の時間で着ける。
カラダはひとつなので単純比較できないが、さっきの大渋滞をムリやり抜けて、
今走ってる道がスイスイだから、絶対こっちの方が速い!自信が出てくる。
『一般道でも、やけに追い越し車線が混んでいるのに、走行車線はスイスイ走れる。』
なぜだ?
左側の走行車線は、路面店の出入りで足止め食うことが多いから、みんな本能的に
右の追い越し車線の方が「お得」と考えているのか?
でも、みんながみんなそのお得感でチョイスしたルートが混み混みで全くお得になってない。
スイスイ走りたい派より、もしかしたら行列に並びたい派が多いのか?
スイスイ行きたくて追い越し車線行ってるのに、そう思ってる人ばかりで、結局走行車線の方が早いなんて、
しかし、それに気づいても走行車線に進路変更する車が少ないことに時代を感じる。
正月休みは、休みモードなのでスミマセン、そんなことばかり考えちゃうんですよ。
でも音楽活動にふと置き換えてみて、「あ〜似てるかも、、」と思いました。
流行りを追いかけても、もう遅いのに、流行りを追っちゃう。
わかっているのに、その呪縛は強い。
「人のやらないことをやれ!」
歴史がその重要性を証明しているのに、なかなかできない。
なぜだ?
今年は、よし!ナビの推奨ルートを無視してみることにする。
よ〜し!!道なき道だ!!
この記事を書いた人
ベリーメリーミュージックスクール京都校のチーフです。